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東京高等裁判所 昭和30年(ネ)1684号 判決

東京都中央区日本橋江戸橋一丁目七番地一

控訴人

山叶証券株式会社

右代表取締役

三橋幸三

右訴訟代理人弁護士

減辺綱雄

小村義久

東京都台東区永住町一〇七番地

被控訴人

佐藤絢子

右訴訟代理人弁護士

関口保二

鹿島恒雄

関口保太郎

右当事者間の昭和三十年(ネ)第一六八四号株券返還請求控訴事件について当裁判所は次のように判決する。

主文

原判決を次のように変更する。

控訴人は被控訴人に対し

(一)株式会社千代田銀行(現在株式会社三菱銀行)株式一万株分の株券(林寿名義のもの)

(二)株式会社富士銀行株式五千五百株分の株券(山本均名義のもの)

(三)古河鉱業株式会社株式四千八百株分の株券(山本績二名義のもの)

(四)平和不動産株式会社株式三千四百株分の株券(同上)

を引き渡すべし。

右株券を引き渡すことができないときは、控訴人は被控訴人に対し、その引渡不能の部分につき右(一)の株券については一株金九十五円、(二)の株券については一株金八十八円、(三)の株券については一株金七十五円、(四)の株券については一株金三百七十七円の割合によつて算出した金員及びこれに対する各その引渡不能に帰した日の翌日から支払ずみまで年六分の金員を支払うべし。

被控訴人その余の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審とも控訴人の負担とする。

この判決は被控訴人勝訴の部分に限り被控訴人において金五十万円の担保を供するときは仮りに執行することができる。

事実

控訴代理人は原判決を取り消す、被控訴人の請求を棄却する、訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とするとの判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張、証拠の提出、援用、認否は次のとおり附加するほか原判決の事実らんに記載されたところと同一であるからここにこれを引用する。

控訴代理人は、控訴人は従来被控訴人主張の事実中原判決事実らん二請求の原因(二)記載の事実を全部認める旨自白したが、右事実中被控訴人が訴外日本証券金融株式会社から融資を受けるにつきその主張の株券(三井鉱山株式会社株式ほか九銘柄合計六万八百株)を控訴会社に委託した日が昭和二十六年四月二十七日であること及び右委任契約締結のさいの控訴人側の事務はすべて控訴会社専属外務員井上四郎が担当したとの点については、右自白は真実に反しかつ錯誤にもとずくからこれを取り消す、右事実は否認する、右委任契約締結のさいの被控訴人側の事務は全く右井上四郎が担当したけれども控訴会社側の事務は控訴会社計算課長広田亮一及びその部下職員がこれを行つたものであると述べ、被控訴代理人は右自白の取消に異議があると述べた。

(証拠略)

理由

一、控訴人が証券業を営む株式会社であること、被控訴人がその日時はしばらく別として控訴人に対し、被控訴人を代理して訴外日本証券金融株式会社(以下日証金という)から金百八十万円を借り受け、その担保とし被控訴人の提供する被控訴人主張の三井鉱山株式会社株式外九銘柄合計六万八百株の株式(原判決事実らん二(二)(1)ないし(10)記載につき日証金のため質権を設定すること並びに右借入金、その返済金及びこれにともなう担保株券の受渡をすることを委託し、即時控訴人に対し右各株券を引き渡したこと、右委託契約締結のさい控訴会社専属外務員井上四郎がこれに関与していること、控訴人が昭和二十六年五月七日右委託にもとずき被控訴人を代理して日証金から金百八十万円を借り入れ、同時に右借入金債務の担保として前記株式の上に質権を設定したことは当事者間に争ない。

被控訴人は控訴人との間における委託契約の日時は昭和二十六年四月二十七日であり、かつ右契約のさい控訴会社側の事務はすべて控訴会社専属外務員井上四郎が担当したものであると主張し、この事実は従来控訴人の認めたものであるところ、控訴人は当審において右自白は真実に反しかつ錯誤にもとずくからこれを取り消すと主張する。右昭和二十六年四月二十七日という日に被控訴人が控訴人に対し、その何のためであるかはしばらく別として、前記株式合計六万八百株を交付したことは本件口頭弁論の全趣旨にてらして当事者間に争ないのみでなく、本件にあらわれたすべての証拠によつてもこれを疑うべきものがないから、控訴人が右日時を争う趣旨は、同日交付を受けた株券は日証金からの融資の担保に供するためではなく、日証金への担保のために委託されたのはその後のことに属するものであり、本件は当初単純な株の売買であつたのが後に日証金から株式担保により融資を受けることとなつたものであるというにあるものと解せられる。しかしその当初のなりたちが何であれ、少くとも右昭和二十六年五月七日以前において右委託契約が成立し被控訴人から株券の提供があり、これにもとずき控訴人が被控訴人を代理して日証金から前記金員を借り入れ、かつ株式に質権を設定したというかぎりにおいては、争がないのであるから、右委託契約が昭和二十六年四月二十七日に成立したのか、その後同年五月七日までの別の日に成立したのかは本件を決する上に必ずしも重要な問題ではないといわなければならない。ただこの点はこれについて被控訴人の主張と鋭い対立を示す証人井上四郎その他控訴人側証言がどれだけ信用されるべきものかとの信用度を考える上の一資料たることは失わないけれども、これらの信用度の問題は後に後に判断するとおりであつて、この点を解決しなければならないというものではない。従つて右自白取消の許否については立ち入らない。

次に右委託契約締結にあたり控訴会社側の事務はすべて控訴会社専属外務員井上四郎が担当したとの点について控訴人の自白取消の適否いかんを考える。この点につき同人はもつぱら被控訴人側にあつて被控訴人を代理して控訴会社と接渉したものとする控訴人の主張にそうような原審及び当審証人井上四郎、広田亮一、当審証人広岡正次の各証言は原審及び当審における証人野地要の証言及び被控訴人本人尋問の結果とくらべて採用することができない。その他に右自白が真実に反することを認めるべき的確な証拠はない。かえつて右証人野地要、井上四郎(一部)の各証言及び被控訴人本人尋問の結果をあわせれば、被控訴人は女医であつて昭和二十六年四月末ごろ外遊のためぜひとも百五十万円ほどの金員が必要となり、訴外山本績二からその目的のため借用した本件株券で金融を得ようとはかり、そのころ知人高橋某からはじめて控訴会社の専属外務員である井上四郎を紹介され、同人を通じて控訴会社と本件取引関係に入つたものであるが、当時被控訴人は出発のまぎわで、ひどくいそいでおり、右井上と知り合つてわずか一両日にすぎない右昭和二十六年四月二十七日にはとにかく控訴会社から金百六十万円余の現金を受け取つて直ちに飛行場へかけつけるというありさまであつて、被控訴人はもとよりその後に被控訴人に代つて種々善後措置を講じた被控訴人の甥野地要も、もともと、株式売買ないし株式担保による金融等の取引については全く無知同様で、もつぱら控訴会社の証券業者としての声名と信用とに信頼し、控訴会社の使用人である井上と接渉することはとりも直さず控訴会社と接渉するものであると理解して事に当つたものであることを認めるに足りる。また成立に争ない甲第九号証の一ないし二十の記載によれば、被控訴人が控訴会社との間でした右株式六万八百株の売買(これがいわゆる仕切売買であつたことは前記証人井上四郎同広田亮一の証言からうかがい得る)について控訴人が被控訴人にあてて発行した売付もしくは買付報告書又は受渡計算書にはすべて「扱者井上」との記載があり、右売買が日証金融資に関係ない単純ら売却及び買戻であるか日証金からの融資を得るためのいわば形式としてなされたものであるかはともかくとして、その当初から井上四郎が「扱者」として関与していることが明らかである。右井上が控訴会社の使用人でありながらこれと対立当事者の側に立つてもつぱら被控訴人の利益のためをはかることが期待されるようなとくだんの事情は何一つ認められないのである。以上の事実によつて考えれば井上が本件委託契約に関与したのはもつぱら控訴会社の使用人として会社を代理してしたものであり、同人が控訴会社や係員と接渉したのは一にその内部的事務処理としてしたものと認めるのが相当である。結局この点の自白の取消は許されない。

二、原審及び当審証人井上四郎の証言によりその成立を認めるべき甲第三ないし第七号証、弁論の全趣旨によつて真正に成立したものと認められる乙第十三号証、原審及び当審における証人野地要、同井上四郎(但し後記信用しない部分を除く)の各証言及び被控訴人本人尋問の結果(原審は第一、二回)に前認定の事実をあわせれば、被控訴人は前記日証金からの借入金債務金百八十万円の弁済として昭昭二十六年五月八日金三十万円を、同年十月二十九日金二十五万円を、同年十二月二十八日金二十万円を、昭和二十七年九月十七日金五十万円を、同年十二月八日金三十五万円を、昭和二十八年一月十三日金十万円を、同年六月五日金十万円を、それぞれの残元金に対する利息損害金とともに控訴会社と委託して右日証金に弁済するため控訴会社外務員井上四郎に交付したこと、右井上四郎は日証金に対する関係において被控訴人が控訴人に委託した委託事務たる弁済金の受渡について控訴会社を代理する権限を与えられていたこと、しかるに井上は被控訴人から右弁済金を受領の都度これを誠実に日証金に支払うことをせず、自己の用途に費消し、その間後記のとおり被控訴人に断りなく担保株式の一部を勝手に処分してその売得金を被控訴人の日証金に対する債務の一部の弁済にあてて当座をごまかしていたが、そのうち被控訴人からすでに弁済した額に応ずる担保株券の返還を請求され、また株券の所有者山本績二から告訴されるおそれもあり、かたがた日証金への返済によつて返戻される株券を自己の思惑に運用しようというところから、ひそかに前記株式売得金中六十五万円を弁済にあてた残元金百十五万円に対し昭和二十七年二月四日金五万円、同月二十五日金二十五万円、同年四月三十日金八十五万円を立て替えて弁済し、被控訴人の日証金に対する債務は日証金との関係ではこのようにして決済されたものであることを認めるに十分である。被控訴人の控訴会社への弁済のうち昭和二十六年十月二十九日の金二十五万円と同年十二月二十八日の金二十万円については他の五口と異なりこれを証する受取書は被控訴人から提出がないが、この点は当審における証人野地要の証言及び被控訴人本人尋問の結果並びにこれにより成立を認むべき甲第十二号証、同第十三号証の各記載をあわせれば昭和二十六年十月には被控訴人はその所有の東京都台東区浅草永住町所在の土地を処分して得た金九十万円の中から訴外熊倉某に金五十万円、控訴人に金二十五万円を弁済のため交付し、同年十二月には被控訴人が訴外亀有信用組合から約束手形で金七十万円を借り、その中から金二十万円を控訴人に弁済のため交付したものであり、右交付の都度井上から領収書をもらつたがこの二通だけは紛失したものであることが明らかである。前記他の五口の受領を証する甲第三ないし第七号証の作成名義人がたんに井上四郎となつていて控訴会社名義のものでないことは井上の本件における地位が前記のものである以上前認定を左右するものではない。以上の認定に反する原審及び当審証人井上四郎の証言はとうてい信用することができない。原審及び当審証人広田亮一、当審広岡正次の各証言中には前記認定に反する部分があるが、これらはいずれも同証人らが右井上四郎を通じて承知しているものに関することその証言自体から明らかであり、当時井上は被控訴人と控訴会社の間に介在してしきりに作為するところ多く、その言動の信じがたいこと前記のところから明らかである以上、いずれもこれを採用し得ないものである。乙第十二号証の一ないし九はいずれも被控訴人が日証金からの本件借入金債務につき差入れた約束手形であることは弁論の全趣旨から明らかであるが、当審における証人野地要及び被控訴人本人の各供述によれば、これらの約束手形はいずれも井上において金額の記載のない手形を被控訴人方に持参し、金額は会社において印字機で記載するとか、計算の上でないと判然しないとか、申し述べてその旨信ぜしめ、控訴人をして振出人名下に捺印せしめたものを右井上において日証金関係の現実に即応するよう金額等を記入したものである消息をうかがうに十分であるから、これら手形に記載された金額によつて被控訴人が控訴人に交付した前記金額やその日時を疑うことはできない。その他に前記認定を左右するに足る的確な証拠はない。

してみれば、控訴人はおそくも昭和二十八年六月五日以後は被控訴人に対し本件委任契約の趣旨に従い、被控訴人の交付した金員を日証金に支払い、被控訴人の債務を完済せしめた上、その担保に供した前記株券全部を日証金から受け戻してこれを被控訴人に返還する義務があること明らかである。

三、右日証金に担保に供せられた株券の中(一)千代田銀行株券一万株分、(二)富士銀行株券五千五百株分、(三)古河鉱業株券四千八百株分、(四)平和不動産株券三千四百株分を除くその余の三井鉱山株券ほか八銘柄合計三万七千百株については控訴人から被控訴人に返還されたことは被控訴人の自認するところである。控訴人は右(一)ないし(四)合計二万三千七百株につきまだその返還がないとして控訴人にこれが返還を求めるところ、控訴人は右(一)(二)の株券は被控訴人の依頼により日証金から受け戻しの上他に売却し、その余の分はすでに被控訴人に返還したと抗争するからこれについて審究する。

原審及び当審における証人広田亮一の証言により真正に成立したものと認めるべき乙第四号証の一ないし四の記載によれば控訴人は昭和二十六年十月一日千代田銀行株券一万株分、及び富士銀行株券六千株分を東京証券取引所を通じて他に売却したことが認められる。右証人広田及び原審証人井上四郎は右株券の処分が被控訴人の委託によるものである旨供述するけれども右供述は原審及び当審における被控訴人本人尋問の結果とくらべて信用できない。右井上のいうところによれば被控訴人は当初三ケ月位の期限のつもりであつたのに三カ月を経過しても弁済のあてがないので担保株の一部を処分して入金の上残額につき弁済の猶予を得ることとして右株券の売却を委託したというにあるが、井上はその以前すでに同年五月はじめ金三十万円を被控訴人から交付を受けており少くともこの分については右担保株の一部を処分するくらいならば、当然日証金に内入として弁済すべきであり、被控訴人が右金三十万円の弁済さえ未了であるのに他人から借り受けた担保株の処分に賛成することは不自然であつて、被控訴人がこれら取引に通じないという一事によつてはこれを説明することができない。いわんや右担保株処分によつてした金六十五万円の日証金への支払の結果右千代田銀行株及び富士銀行株の外平和不動産株三千四百株が返戻されたにかかわらず、これを被控訴人が引き取らずそのまま井上に預らしめたとするにいたつてはいよいよ不可解である。証人井上のこの点の説明は右処分の銀行株は不日買戻さなければならないからその時の資金(頭金)にこの平和不動産株をあてるというにあるが、しからばそれにあてた平和不動産株はいかにして保全するのか、とうてい納得できるものではない。乙第三号証の三(右富士、千代田両銀行株及び平和不動産株に関する被控訴人名義の日証金宛担保品返戻受取書)の被控訴人名下の印影だけは当審における被控訴人本人尋問の結果により被控訴人の印章によつてあらわされるものと同一であることを認め得るが、被控訴人の肩書に記載された住所は台東区永福町とあつて被控訴人の住所(台東区永住町)の記載としては明らかな誤記があるのみでなく、右本人の供述によれば被控訴人はもとより野地要その他被控訴人方の何人もかかる書類に捺印したことがないことを認め得るから、右書証の成立はこれを肯認するに由なく採つてもつて当時被控訴人が右担保株処分を承知していたことの証とすることはできない。乙第十二号証の四によれば昭和二十六年十一月五日において日証金の残元金が金百十五万円であり被控訴人がその金額の手形を書換え振出しているもののようであるが、被控訴人の振出当時金額の記載のなかつたことは前記のとおりであるから被控訴人が右金額を知つて手形を差し入れたものとすることはできず、もとより右担保株式処分委託の事実の証とはしがたい。処分代金の内金六十五万円が被控訴人の日証金に対する債務の弁済にあてられたとの事実からさかのぼつてその処分が被控訴人との合意にもとずくとし得ないことは前記説明からおのずから明らかである。その他に右売却処分が被控訴人の委託にもとずくことその他その意思によるものであることを認めしめるに足る的確な証拠はない。かえつて右被控訴人本人尋問の結果に本件口頭弁論の全趣旨をあわせれば被控訴人は控訴会社ないし右井上四郎に対しかかる担保株式処分の委託をしたことはなく、井上四郎において被控訴人に無断で被控訴人の指図を受けたと称しその注文によるものの如くして実は自分自身のため控訴会社に対し右千代田銀行株及び富士銀行株合計一万六千株の売付を委託して売却し、その後富士銀行根五百株のみについては自ら買い戻しの上昭和二十八年六月五日被控訴人からその最後の弁済資金の交付を受けたさいこれを被控訴人に返還したものであることが明らかである。従つて被控訴人の委託により処分したとの抗弁はその理由がない。

次に成立に争ない乙第一号証(領収証)の記載によれば被控訴人は昭和二十七年四月二十五日控訴会社から本件係争の株券外数種の株券の返還を受けた旨の証書を控訴会社に差し入れていることが明らかであるけれども、原審及び当審における証人野地要の証言及び被控訴人本人尋問の結果によれば、井上は被控訴人に対し日証金は株式売買資金の融通を主眼とするため、短期融資を立て前とするが、一年位は借りられる、しかし一年以上に及ぶときはいちおう借り替えの手続をとらなければならないとしそのためには被控訴人がいちおう株券の返還を受けた旨の証書を日証金に差し入れなければならないと申し向けたので被控訴人はこれを信じて真実株券の返還を受けていないにも拘らず返還を受けた旨の書面を井上に交付したものであることを認め得るのでこの点の証拠としがたいところである。もつとも右乙第一号証がいわゆる借替のためのものであるとしながら、その余の借替手続の形式がとられたことは本件において認められないから、右乙第一号証のみを借替手続のため差し入れたことは奇異の感あるを免れないが、前記被控訴人本人尋問の結果によれば被控訴人は本件取引の当初からその無知と未経験のためいちずに井上のいうことを信用し、そのいうがままに事を処理して来たものであり、そのためについに本件のような紛争をまねくにいたつた消息をうかがうに十分であるから、被控訴人が借替のためとの井上の言を信じてたやすく右乙号証を差し入れたことを疑うのは相当でない。乙第三号証の三の成立の認めがたいことは前記のとおりであり、同第三号証の五、六の成立の認めがたいことは同様前記被控訴人本人尋問の結果から明らかであるから、これらにそれぞれ問題の平和不動産株三千四百株及び古河鉱業株四千八百株を被控訴人が受取つた旨の記載があつても、真実控訴人がこれらを受領したことの証とはしがたい。

乙第七号証(井上名義被控訴人宛株式借用証)には右古河鉱業及び平和不動産株を含む株式をいつたん被控訴人が受け取つた上あらためて被控訴人が井上に貸したもののような記録があるが、当審における証人野地要の証言及び被控訴人本人尋問の結果によれば右書面は作成日付(昭和二十七年四月二十五日)のずつと後になつて井上が一方的に作成して被控訴人方に持参したのでいつたん野地要においてこれを預つたが、被控訴人はその趣旨が事実と相違するのでこれを返却しようとしたが、野地は当時井上が被控訴人からの入金にかかわらずはかばかしく担保株式の受戻を実行しないので万一の場合被控訴人の方で未受領の株式の銘柄数量だけでも証する資料にもなろうかとの考えからしばらくこれを預つたが、結局は井上に返却したしのであることが認められ、また乙第六号証(同様株式借用証)は右証人野地の証言及び被控訴人の供述によれば昭和二十八年一月中旬ごろ井上が被控訴人方に差し入れようとしたが被控訴人は直ちにこれを返却したことが明らかであり、いずれもこれらによつてこれら書面記載の株券を被控訴人が受領したことを認めしめるには足りない。成立に争ない乙第八号証は昭和二十八年一月十三日付被控訴人の井上宛帝国銀行株式三千百株分の受取書であるところ、これには「右株式は先に御貴殿に貸与せる株式の一部也」と記載されているが、前記証人野地の証言によれば、当時被控訴人方では株券の返還を切実に求めており、とにかくにも株が返えればその趣旨が何であろうと深く留意するところがなかつたという状況がみられるので、この片言隻句をとらえて被控訴人がすでにこれ以前株券を受領しているものとすることはできない。乙第九号証は被控訴人名義の控訴人宛平和不動産株三千四百株、古河鉱業株三千株の受取書であり、「右株式貴社を通じ日本証券金融株式会社へ私借入金の担保品として差入置きましたが今度返却を受け正に受取りました」とありその趣旨最も明瞭な重要な文書である。しかるにこれが本件の第一審には提出されず当審にいたつてはじめて提出されたものであり、証券業者としてこの種の文書の取扱は通常人以上に慎重であることが期待される控訴人の態度としては不自然の感を免れず、当審証人広岡正次のこの点の証言ではまた右の不審を解消せしめない。のみならず右書面の被控訴人名義は「東京都台東区浅草永住町一〇七医師佐藤絢子」という記名判によるものであり、当審における被控訴人本人尋問の結果によればこの記名判及び名下の印影は被控訴人方の記名判及び印章により顕出されるものと同一ではあるが、同人の作成したものではなく、この医師の肩書入りの記名判は被控訴人が職務上作成する診断書と証明書以外には用いることがないところ、これらの記名判や印章は被控訴人方の診察室の箱の中に入れてあつたこと、井上四郎は当時しばしば被控訴人方に出入し診察室にも立ち入つたことがあることが明らかであるからその成立そのものがきわめて疑わしく、とつてもつて右株券受領の証とすることはできない。

そしてこの点の控訴人の主張にそうような原審及び当審における証人井上四郎の証言はとうてい信ずることができず、その他にこれを認めるに足りる的確な証拠はない。

かえつて原審及び当審における証人野地要、同井上四郎(但し前記排斥にかかる部分を除く)同広田亮一(一部)及び被控訴人本人尋問の結果、前認定の事実並びに本件口頭弁論の全趣旨をあわせれば、この間の事実の真相は次のとおりであると認められる。すなわち控訴会社は日証金から昭和二十六年十月四日平和不動産株券三千四百株、昭和二十七年二月六日三井鉱山株券四千三百株、太平鉱業株券七百株、大日本紡績株券五百株第一銀行株券一万株、同月二十七日古河鉱業株券三千株、同年五月一日大阪銀行株券二万二千株、帝国銀行株券三千株、千代田銀行株券五千株、古河鉱業株券千八百株をそれぞれ返戻を受け(これらの事実は控訴人の認めるところである)、これを被控訴人に返還すべく井上四郎に命じて同人にこれを交付したところ、右井上はその指示を必ずしも誠実に実行せず、結局平和不動産及び古河鉱業の二銘柄を除くその余は被控訴人主張の日時に被控訴人に返還したけれども右二銘柄合計八千二百株はこれを勝手に自己の思惑等に用いて返還しなかつたところから、右井上自身の立場をつくろうために井上自身が被控訴人から前記株券を借用しているという形式をとる方策を案出し、自ら前記乙第六、七号等を作成し、うやむやのうちにその外観を作り上げようとしたものであるという次第である。しからば控訴人の右返還ずみであるとの抗弁もこれを採用し得ないこと明らかである。

四、しからば被控訴人が控訴人に対し本件委任契約にもとずき控訴人がその受任事務を処理するにあたり受け取つた株券中まだ返還を受けない(一)株式会社千代田銀行(現在株式会社三菱銀行)株式一万株分の株券(林寿名義のもの)(二)株式会社富士銀行株式五千五百株分の株券(山本均名義のもの)(三)古河鉱業株式会社株式四千八百株分の株券(山本績二名義のもの)(四)平和不動産株式会社株式三千四百株分の株券(同上)の引渡を求める部分の本訴請求は正当として認容すべきものである。

被控訴人は右請求にあわせて控訴人が右各株券の引渡をすることができないときはその履行に代る損害賠償として右株券の価額に相当する金員の支払を求めるところ、右請求は将来の給付を求めるものであるがあらかじめその請求をする必要があることは自明のものというべきであるからこれを許すべきである。そしてその数額について考えるに、成立に争ない甲第十一号証によれば昭和三十年三月五日現在(原審口頭弁論終結の直前)千代田銀行(現在三菱銀行)株式は一株金九十五円、富士銀行株式は一株金八十八円、古河鉱業株式は一株金七十五円、平和不動産株式は一株金三百七十七円であること明らかで、その後の右株価の変動については当事者双方ともなんらの主張がなく、かつ他にとくだんの事情の認められない本件においては右各価額は将来本件各株式の引渡が不能に帰した場合にも同一と推認すべきであるから、右引渡不能のときは控訴人に対し右各割合により算出した金員を支払うべき義務を有すること明らかである。右金員支払債務は控訴人のため商行為たる本件委任契約にもとずく株券返還債務の履行不能にもとずく損害賠償義務であるから、さらにその履行遅延についてはこれに対し商事法定利率たる年六分の遅延損害金を支払うべきものであるが、その遅延は将来本件株券の引渡が不能に帰し履行に代る損害賠償義務が発生するまではあり得ないから本件訴状送達の翌日以後から右遅延損害金を求める被控訴人の請求はこの限度においては失当として排斥しなければならない。

よつて被控訴人の本訴請求を右の限度で正当として認容し、その余を理由のないものとして棄却すべく、これと異なる原判決を右の限度で変更することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九十六条第八十九条第九十二条、仮執行の宣言につき同法第百九十六条を各適用して、主文のとおり判決する。

東京高等裁判所第七民事部

裁判長判事 藤江忠二郎

判事 谷口茂栄

(判事浅沼武はアメリカ合衆国出張中につき署名押印できない)

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